アドベントカレンダーのためのブログ

アドベントカレンダー用の記事です

8日目のアドベントカレンダーには書名は出てこない

この記事は積読 Advent Calender 2023 8日目の記事です。

adventar.org

お詫び

  • 私は技術者ではありません。アドベントカレンダーに参加して良かったのかなと冷や汗をかいております。温かい目で読んでいただけるとありがたいです。
  • 当初、今年の春に閉店した定有堂書店鳥取市)の思い出を書くつもりでしたが、意外にも抱く感情がぐるぐるとしていて、今の時点でも言葉に変換することがどうしてもできませんでした。変換に成功したらどこかで書くかもしれません。

 

もう一つ

この記事には紹介すべき本はありません。また新たに本を買う羽目になるのではと不安になる必要はありません。本文も短いです。安心して下さい。

 

本文ここから

このカレンダーに参加されている方々の記事を読んで思った事。

「皆、積読と言いながらもちゃんと本を読んでいるではないか。」

積読していると称する本の内容を書くには、少なくとも一度は本を開いて目を通していないとできないこと。

 

私の場合は、本を買って積んだ後は一切手を触れず、見もしなかった。

入れてもらった書店の袋を開く事も無く、付けていただいたカバーはそのままで。

その揚句に何の本を買ったかすら忘れてしまうから、本の内容を書くこともできない。

 

かつて開催されていた東京国際ブックフェアでは、毎度本を大量に買っては会場から本と資料を直接家へ送り、帰宅後に受けとった小包を開いては本を読んだり積んだりしていた。

ある年、同じようにブックフェア会場から送った小包を自宅で受けとった時に、中を開きもせずに部屋の片隅に置いてしまった。そして周囲に同じように段ボール箱が置かれ、そのまま存在を忘れてしまった。

ブックフェアが開催されなくなってから更に数年後、片付けをしていた私は忘れられていた小包の箱を見つけて中を開いた。本と資料がぎっしり詰まっていた。しかし、購入した当時は興味があったからこそ買ったはずなのに、どうして買ったのかがどうしても思い出せない。パラパラと中身をめくっても今更読もうという気がどうしても湧いてこない。

小包の中身は全て単なる紙と糊で出来た強固な束となってしまっていた。

作者にも出版社にも申し訳ないと思いつつも、本を全て手放した。

 

原則として理由がなければ本を買う事は無かった。

例えば、本に書かれている内容になんらかの憧れがあったのだろう。生活の中で拾い上げられる小さなフィクションやノンフィクション。「知りたい」欲求が引っぱって行った未知の世界。生のままの感情を昇華させた言葉に触れる時の、脳みそが燃える感じ。

もしくは、ただ壁によりかかりたいためだけに買う事があるのだろう。

それなのに、買ったらもう目的が果たされたかのように憧れが消えてしまう。そして物体として積まれる。部屋が狭いから。本棚にはもう本が一杯だから。私が抱いた憧れの多くが「憧れなるもの」に変質してしまったから。

後ろめたくなって、買って来たままで積んでしまうようになって久しくなった。

玄関に、買ったままの状態の本を積み直してみて、意外にも低いなと思ってしまった。

 

唐突だが結論

  • 小包は必ず開けましょう。
  • この記事を読まれた方、積読本の山から一冊取り出して「君をけっして無視していた訳じゃない」と言い訳をしてみましょう。
  • その本を持って旅に出ましょう。行ってきます。

 

積まれた本。閉店の話を聞いた3月から閉店した4月までの間に全て定有堂書店鳥取市)で購入したもの。まだ、当時の憧れが変質せずに本から漂っている…はずだが…

後記(2024-01-08)

この積ん読の山から一冊取り出して、先ほど読み終えたのは

 

会話では、相手の語りと著者の語りが入り交じる場面がしばしばあって、それでも今誰が話しているのかが読み手にわかる。それだけでも著者はなんて凄い書き手なんだろうと思ってしまう。